元旦に

1 大晦日

 大晦日は珍しい友人からSkypeでコールが来ていたので取った。最終的には四、五人の同窓生たちで近況の話をする。引越しの話題になる。

 そういえば、twitterで定期的に引越しの可能性を仄めかしながら結果的に黙殺するかたちになってしまっていて申し訳なく思う。状況が決まったらお伝えします。

 

2 元旦の読書

 京都の三条まで行った。はじめは元旦にやってくる親戚から逃げるためだったのだが、ついでに初詣もしようという魂胆だった。ところが、河川敷で川を眺めていたらどうでもよくなってきて、地元の神社でいいやと思った。

 からふね屋というパフェがたくさんある店に行った。サクサクロースカツパフェとかいう、とんかつが入っているパフェを食べた。自分はあんまり食べ物を笑いに転化したものを食べるのは抵抗があるのだが、好奇心にあらがえず、実際食べてみると案外おいしかった。

 時間を潰すつもりだったから文庫本を持ってきていて、そこで『いもうと物語』を読んだ。氷室冴子は初めて読む。昭和40年代、北海道での日常生活を子供が記した、という体で書かれている。石油ストーブを買ったときの家族の反応だとか、親戚の家に遊びにいったときのやりとりだとか、そういったものを女の子が実直な文体で語るのだが、これがまったく嘘っぽくなくて、本当にその時そんな気持ちだったんだろうなと思わせられる。はじめノンフィクションの日記かと思ったくらいだ。

 ところで、「子どもらしさ」というのは可愛さだけではないし、残酷さもある。主人公のチヅルの視点はここもきちんと描かれていて、傍からみて、倫理的には間違っているような言動を取ったりもする。そしてそこに、行動の正しさを裏付けするような哲学もなければメッセージ性もない。そういった側面、社会風刺はむしろサブキャラクターを用いて書かれていて、チヅルの視座はリアリズムに徹しているはずだ。

 チヅルにあるのは、いずれ整理整頓されるであろう無秩序な思考といったもので、これを無垢と呼ぶこともできると思う。チヅルなりのポリシーは、大人から見て正しいわけではない。あるいはそれが、だからこそ正義なのかというと、必ずしもそうではない。善悪を伴っている。いいこともすれば悪いこともする。分かることもあれば分からないこともある。そのはざまで苛々したり怒ったり泣いたりする。それは大人が後から手に入れることのできない無秩序/無垢そのものであって、ここに美点がある。

 これをあっさりと書きだしてしまうのだとすると、氷室冴子っていうひとは凄い作家なのかもしれんなと思う。また機会を作って別の作品も読んでみよう。

 

3 親戚づきあい

 『いもうと物語』が家族や親族を描いた小説だったから、せっかく我が家を訪ねてきてくれている親戚をむげにするのも心苦しくなって、三条から帰路についた。いざ面と向かって話してみるとなんとかなるというか、別になにも問題はなかった。ただ、これは毎年反省するのだけれど、はちゃめちゃに元気な子どもに対して自分は彼らを楽しませる芸がない。おもしろい話くらいなら出来るから、せめて10分だけ耳を貸してくれれば笑わすこともできるんじゃないかとも思うのだが、移り気で元気いっぱいの子どもたちが10分も黙って聞いてくれるとは思えず、なかなか切り出せないまま終わってしまった。まるで「いくら話や絵がうまくても世渡りが下手だと無理」みたいなクリエイターあるあるのような問題にぶちあたってしまい、世の中の仕組みというのは大体が共通しているのかもしれないなと感じた。

もう一度

1 北山

 先日京都に行ったことを書いたが、実は二日連続でまた行ってしまった。自分は昔ッからそういうところがあって、かつ丼にハマったら毎日のようにかつ丼を食べにいくようなところがある。

 京都と言っても、前回は四条周辺だったが、今回は北山というだいぶ離れたところだ。初めて訪れて感じたのは、緑が多く、高級住宅地といった感じだった。どうやら京都ノートルダム女子大学のキャンパスがあるらしい。ハイソ、ということばが似合う感じがする。しかしこういう、カタカナの固有名詞と緑が多ければハイソというのも、ちょっと昭和的な考え方なのかもしれんなという気もする。事実、日本の街のほとんどは未だ昭和に根付いているのだろうとは思うけれども。

 北山の感想だけれども、あまりにも整然としており、ザ・京都という感じなので、もし親戚のオバちゃんとかがここらへんに住んでいたら、それだけで気圧されてしまいそうだなという気持ちにもなった。あこがれの対象になりやすい街だろうなとも思う。

 観光地として訪ねる人はあんまりいないと思うが、周囲で京都にかつて住んでいた人たちは、北山のことを褒める人が多かった。

 なんでわざわざここに来たのかというと、コーヒーハウスナカザワという店を探していたから。カレーライスがおいしいらしくて、なおかつとてもボリューミーと聞いていた。

 ナカザワは駅からすぐ近くだった。開店前に到着してしまい、散歩をして数十分ほっつき歩くことにした。住宅地を歩いていると、奥のほうに山が見える。というよりも四方に囲まれているのかな。農園みたいなところもあって、なんだか牧歌的で落ち着いているやと思った。あとから聞いた話では、奥のほうには深泥池という心霊スポットがあるそうな。調べてみると本当に怖そうで、一人で好奇心で行くのはやめておいたほうがいいように思えた。

 ただ美しい光景はたぶんありそうだ。湖畔をこの目で見てみたいという気持ちはある。しかしおっかない。ところで、かりにそこまで行ったとして、それを写真におさめる気持ちにもなれないだろう。写真に撮れない(撮る気にならない)美しい光景というのは、SNS時代にとってなんだか風刺的な存在のように思える。

 深泥池はさておき、散歩をひとしきり終えてから道を戻って、ナカザワ近隣の書店でクロッキー帖とボールペンを買った。ちょうどそれくらいで開店の時間になった。

 

 ナカザワのカレーライスはとてもおいしかった。詳しくは自分で調べていただきたいが、普通サイズでもびっくりするくらいの量だった。空腹だったので自分にはちょうどよく、あっという間にたいらげてしまった。家庭的なカレーが好きなひとは是非たずねてみるといいと思う。

 カレーライスめあてで来たと言っても、ナカザワはコーヒーハウスだから、つまるところ喫茶店だろう。そこで食後になにか注文しようと思っていて、メニューを確認したらキューピッドというものが目についたので物珍しさで注文して、フロートも追加で乗せてもらった。

 店の人に聞いてみると、キューピッドはカルピスのコーラ割りだった。なるほど実際飲んでみるとそんな味がする。独特の風味があってクセになりそうだ。ジンジャーエールのような感じで、好きなひとは好きになると思う。

 キューピッドを飲みながら、クロッキー帖に落書きをいくつか描いた。最近、人と会うたびに紙とペンを差し出されるがまったく描けないので恥ずかしく、申し訳なくもあるので、そろそろ練習しようかと思う。

 そんなこんなで一時間以上は店の中に居たと思う。とても居心地がよかった。その日は天候がよく気温が高かったこともあって、まるで小春日和だった。そんなときに好きになれそうな喫茶店と出会えたことを幸運に思う。そしてナカザワの場合、カレー目当てでも好きになれそうだ。

 北山という街はまだまだ奥が深そうである。また行こうと思う。

京都の感想

1 鴨川

 以前、友人と京都のライブハウスに行ったことがある。場所は何処だったか忘れたが、四条のあたりだったように思う。住宅地の真っただ中にあって、老婆心ながらこんな立地で苦情とか大丈夫なんだろうかと心配になったものだ。

 そのライブの待ち合わせの際に、たしかチェーン店の喫茶に入って時間を潰したはずで、その時に大学生らしき人たちがいかにも大学生らしい話(就活とか)をしていたような覚えがある。なんだかおっかないなと思って、自分はそれからあんまり京都の喫茶店に良い印象が無かったのだが、チェーン店だったし京都じゃなくたってそんなこといくらでもあるなと思い直して、今日は四条付近をぶらついてみた。

 さて、橋の上から鴨川を見渡してみると、なんだか白い鳥が優雅に飛んでいたりして、もうこの段階から大阪とは違うような感じがした。昔河川敷で尺八をひとりで吹いている女性を見かけたことがある。今日はいなかった。たぶん学生だったろうからとっくに卒業してどこかに行ったかもしれない。

 

2 スイーツ

 阪急四条駅から近くの細い路地を抜けていったら寺があって、そこの近くに目当ての店があった。抹茶ケーキパフェというものを食べた。ぼく以外は女性客ばかりだったが、スイーツで有名な店のようだから致し方ないかと思う。自分は普段からこういう環境に慣れているが、ひとに言うとよく行くねと言われることが多い。一人鍋がどうとか一人スイーツがどうとか、そういう周囲からどう見られているか、という問題にあんまり頓着しないできた。結果として浮くことが多い。けれども浮くことに慣れたらおいしいものは食べやすくなる。

 食べログで検討をつけてから来たので注文は迷わなかった。期待していた通りのおいしさだった。いちばん上に抹茶クッキーみたいなのが乗っていて、これがいちばんおいしかった。パフェの階層も豪華で、スポンジケーキみたいなものがわんさか入っていたし、白玉だって多かった。全体的にとても満足だった。女性客は多かったがうるさくもなく、店の内装も落ち着いていた。店員の対応も丁寧だったように思う。

 

3 ごはん

 店から出たあと、あてもなくブラブラ歩いていたらおにぎり屋があったので塩入りのやつをひとつ頼んで食べた。これが思いのほかおいしかった。買い食いの習慣は商店街のおかげで、これに抵抗がなくなると街歩きが倍以上楽しくなるね。

 おにぎり屋の近くにカレー屋の看板を見つけた。なんだか気になったので狭い階段を上って秘密めいたお店に入った。

 カウンターのみだが、雰囲気がとてもいい。客層も全体的に上品でうるさくなく、京都らしさみたいなものが上品さであるなら、それをもっとも感じた空間だった。

 チキンカレーとアイスのチャイを頼んで飲み食いした。おいしかった。仮にぼくが近場に住んでいる学生とかならしょっちゅう行っていたかもしれない。そういう、なんだか落ち着ける場所としてのカレー屋としてとてもいいところだった。

 

4 喫茶店

 カレーを食べ終えた後、そろそろ帰るかと思ったけれど、帰り道の途中で名残惜しくなって純喫茶に寄った。ママが常連客と楽しそうに喋っていたり、常連客と思わしき男性同士も話していたりして、そんな中で一人、珈琲を飲んでたばこを吸った。この「一人」という感じの時間も好きだ。騒がしければ騒がしいほど「一人」という感じになるから、一人らしいことをすることができる。誰にも気を遣わずに目の前に珈琲とたばこだけがあるというのは、実はあんまり無い機会のように思う。家に帰ってからすることを考えたり、今後のことを考えたりすることができた。

 ところで、店を出てから少し歩いた先に警察官らしきひとがいた。駅までの道のりが不安だったので聞いてみると紳士的に対応してくれた。なんだか今までひとに道を聞いていちばん親切な対応だった気がする。さりげない会話でしかなかったが、しかし柔和な笑顔で対応していただいたので嬉しかった。

 

5 帰路

 和菓子屋で土産に羊羹を買った。最近あまり祖母と話せていなかったのと、祖母が好きだという和菓子屋が目の前にあったのでちょうどいいと思ったからだ。帰宅後、祖母に渡した。ちょっといいことをした気分になる。いい形で京都の体験を締めくくれたように思う。数時間の滞在だったけれども満足だった。また行きたいと思う。

日記

 

1 京都

 今日はこれから京都へ行こうと思う。

 京都という街には以前しばしば行っていたこともあるが、それは日常的なものでもなく、美術館や観光といった理由が多かった。大阪の商店街を幾つか知ったこともあって、次は京都もいいかもしれないと思い始めている。

 少しばかり興味があるなら、それを行動に移してみるべきなのではないかと最近考えるようになった。さんざん言い尽くされてきたことだと思うが、一夜一夜、ねむるたびに自分の命が減っていっている自覚みたいなものが最近ある。大病したわけではないが、老いというものが身近になったと感じることが多い。まだ三十才にもなっていないのに大袈裟だし、人生の先輩がたからおしかりを受けそうだが、自分は二十前半のころからもう老けていたようなところがあるから大目に見てほしい。前向きな気持ちでそのことを受け止めているつもり。老けていたり、疲れやすかったりしても、なにかをしない理由にはならない。工夫と手段は世の中にたくさんある。商店街ひとつ歩いても、色んなひとがいて、色んなひとが結局、どちみち同じ一本の道を通っていく。

 さて、今日という日からあと五十年くらいまでの間に、自分はたぶん死ぬだろうと思うのだけれど、そのときに観る走馬灯のロケーションは多いほうがいい気がする。色んなところに行って色んなものを見聞きすれば、それだけで多彩な人生っぽく仕上がるのではなかろうか。

 低予算映画の基本というか醍醐味はロケだが、ロケといえば西田敏行が出演した『ロケーション』という映画もあった。ピンク映画のカメラマンがあわただしくロケバスで移動していく光景があったと思う。

 この数年、昔観た映画を折に触れて思い出すことがある。人間の記憶というのは不思議なもので、いままで完全に忘れていたものがよみがえる瞬間がある。たぶんに走馬灯もそういうものなのではないだろうか、見た/観たことがないものはよみがえってくれないから、色んなところへ行くことができるのであれば行ってみたい。

 これから支度をしよう。先日シャツを数枚買った。新しい服を着て出かけるのはなんだか心がわくわくする。

 そうだ、この日記を読んでいる方はあんまりいないかと思うが、答えなくてもいいので、今まで生きてきた中で、気に入っている場所や光景を十個くらい考えてみてください。案外すぐに埋まるかもしれないし、まったく出てこなくて、次にどこかへ行く理由になるかもしれないよ。

深夜に

 案の定、一日目に二つも記事を書いて早速飽きがきた。自分の性分はあんまり飽き性ではないと思っていたが、どうやら日記に関しては先行きが思いやられる。

 けれどもしばらくは書いてみよう。

 

1 たかじん

 最近、月額制度の音楽配信サービスに加入した。合わなかったら辞めればいいやくらいの軽い気持ちだったが、案外これが良い。聴きたい歌手が全部あるわけではないが、会話の中で挙がったものをその日のうちに聴きこめることも多くて、便利な時代になったものだなと思う。喫茶店一回分を毎月払っていると思えばそんなに高くもない。

 ところで、自分はたぶん、同年代の趣味人っぽい人たちと比べて明らかに音楽に詳しくなくて、そこまで向学心もないので一度気に入ると同じものばかり聴きつづける。いまはたかじんにハマっていて、男性・女性の垣根をこえた浪花節というか、涙、涙、涙という感じの哀切がグッとくるようになった。子どものころはテレビの印象で芸人さんかと思っていたが、かなり立派なミュージシャンだったのだなと今更気づいた。

 

2 漫画

 高橋葉介の漫画を読み返したい。夢幻探偵シリーズはかなり好きで色々と読んだが、そのスピンオフ扱いの『もののけ草紙』がかなり好きで、なかでも主人公の手の目は自分の中でベストといってもいいくらい可愛い。ああいう旅芸人のような感じの、粋と野卑が入り乱れたような感じが好きだ。

 

3 料理

 いなばのタイカレーをサッポロ一番と一緒に煮込むたびに後悔するが、しかし手ごろな具が無いときはたまにやってしまう。カップラーメンみたいな味になるのだが、そんなら最初からカップラーメンでいいやないかいと思うのだが、しかしわざわざ買いにいくほどの価値も感じないのでちょっと損した気分で飢えをしのぐ。

 

4 喫茶店の階段

 行きつけの喫茶店には何軒か二階建てになっているところがある。フロア自体が二層に分かれているようなのだが、自分はあがるのを面倒くさがって一階しか使わないので、どのようになっているのか分からずじまいだ。例えば大阪のアングルという店は、一階は喫煙可で二階は禁煙になっていたはずで、そうなるとどうにも喫煙者としては腰が重い。しかし好奇心も日に日に強まってきたので、いずれ試すかと思う。噂によると東京のショパンも二階があるそうだし、何度も行っているのに階段の先を知らないことが多い。ショパンに至っては階段がどこにあったかも覚えていないありさまである。

 

5 寺田寅彦

 好きな作家は誰かと言われたらとても悩んでしまうが、好きな随筆家は誰だと言われたら寺田寅彦だと答えるつもりだ。そんな機会はほぼ無いし、好きなエッセイストはと聞かれたらなんだか違う気もするので、ほとんど人に言う機会はない。

 寺田寅彦夏目漱石の門下生で、なおかつ理系のとってもインテリな人なのだけれど、マメに映画を観に行って感想を書いたり、シーンやカットという映画の構造のありさまを日本の連歌とだぶらせてみたり、子どものころに読んだ三国志のことをしばしば話題に挙げたりだとかなんだか憎めないところが多かったように思う。向学心というよりも好奇心のひとだったのではないだろうか。だから好感がもてた。

 無頼に生きるひとの随筆も楽しいが、寺田寅彦のようにキッチリと誠実なひとが、遊ぶように書いた随筆も良い。肩肘がはるように見えてはらないように書いてある。ところで随筆やエッセイのたぐいは、案外無頼に生きてきたひとのほうが説教くさかったりするのだが、寺田寅彦はそういうところがない。どっちかというと自分の好きなものや懐かしいと思ったものを淡々と、しかし多分本人としてはユーモアも混ぜて書いたのだと思う。そういうところが良い。人柄が出ている。青空文庫でも読めたはずなので、興味のある人は適当になにか読んでみるといいと思う。

 

6 アニメ

 『プリンセスチュチュ』を観始めた。はじめは作業のながら見でいいかと思っていたが、始まってみると一気に世界観に引き込まれた。プリンセスチュチュは周囲でも評判で、昔ッから観ろ観ろと言われ続けてきたのだが、なんでもっと早く観なかったんだろう。ところで、猫の姿恰好をした先生が出てくるが、彼のキメ台詞のようなものがツボに入って笑ってしまった。普段あまりアニメで笑わないのだが不意をつかれてしまった。いまのところいちばん好きなのは猫の先生だ。

 

純喫茶について

 ぼくが喫茶店を好きになったのは今年くらいからだろうか。今までもよく利用していたが、商店街に足しげく通うようになったと同時に多様な店舗を行き来することになった。商店街についても詳しく書いておきたいのだが、それはまた今度にする。

 ここでいう喫茶店というのは純喫茶のことだ。要するに、古くて昔ッからあるような喫茶店だ。丁寧なところは店の前に創業何年とか書いてあるが、だいたい書いていない。たぶん面倒くさいか、言うまでもなく古いってことくらい分かるだろうからだ。

 純喫茶と一概にいっても、明るくて騒がしいところや、暗くて静かなところもある。どっちがいいというわけではなくて、それぞれに特徴があって、その時々の気分でぼくはどこにも立ち寄る。

 ここで忘れたらいけないなと思うのは、純喫茶をあえて避ける人たちもいるということで、スターバックスドトールのほうが好きな人たちも街の一員だ。ぼくはそこに線引きをするつもりはないし、嫌煙家の人だと純喫茶は分煙していないことのほうが多いから嫌だったりもするだろう。

 たぶん、純喫茶という文化は数十年後にはほぼ壊滅状態になると思う。実際マスターやママに話をうかがっても、自分たちの世代で店をしめるという人たちばかりだ。たぶん、「かつてこういうものがあった」ということを再現する店はそりゃ出てくるだろうし、なんとか踏ん張って続ける頑張り屋さんの純喫茶もあるだろうが、どちみち客が「純喫茶だから」という理由で行く純喫茶というのは、なんだかそれは博物館的な楽しみ方になってしまうから、飲食店のありかたとしてメインストリームから外れる/外れたのは否定できないだろう。

 純喫茶の客のおじさんが一人いたら、彼の息子や娘たちが不可視なものとして存在することを忘れてしまってはいけないと思う。不在の人たちは不在であることでそのことを教えてくれるし、純喫茶のたいはんが潰れてなくなったあと、いまスタバやドトールを利用している若い人たちがいずれ懐かしさでスタバやドトールを回想したり利用することもあるだろう。このロジックに貴賤はなくて、世代ごとの、個人ごとの安心や習慣があるというだけの話だ。

 そして、ぼくは純喫茶が好きだ。なんだか人ん家に訪ねていったようなアットホームな雰囲気や、どうやって生計を立てているんだか分からないような胡散臭いおじさんたちが煙草を吸いながら競馬新聞を広げていたり、かまびすしい主婦連が息子の話なんかをしたりしているかと思えば、繊細そうな学生がすみっこで本を読んだりしている。しかし、そんな彼らさえ殆ど来なくなった純喫茶もある。一日に指で数えられるくらいしか客が来ないなか、静かに客を待つというよりも、来ないのが自然だからすっかりマスターやママも受け容れていて、なんならぼく以外に唯一客席に座っているのが彼彼女だったりもする。そういう人たちに「いつごろからこの店を」と切り出すと、オルゴールみたいに昔話が鳴り始める。楽しい音楽、悲しい音楽、色んなものが聴こえる。チェーン店ではそういったことがない。だからぼくは純喫茶が好きでよく入る。もちろん、ほぼ確実にたばこが吸えるからという現実的な理由もあるけれど。

日記をはじめる

 パソコンに初めて触れたのが98年から99年の頃だったように思う。CRTのモニターを富士通のデスクトップに繋げて、マインスイーパーやタイピングゲームをよくやった。時期は前後するかもしれないが、こち亀のタイピングゲームが市販されていて、当時ファンだったのでしょっちゅうやっていたと思う。タイピングが好きなのはその頃から。

 LANケーブルを繋げてネットワークにアクセスしたのはパソコンの所有から少しあとで、たぶん99年の末か、2000年の初めごろだったように思う。

 ぼくは当時登校拒否だったので、びっくりするほど時間が余っていた。どれくらい余っていたかというと、毎日ワイドショーをはじめから最後まで観ていたくらいだ。そんな暇人にインターネットが強烈な衝撃を与えたのはいうまでもない。ゲームの攻略サイトを見ているうちに、そこのCGIの掲示板やチャットを利用するようになった。

 初めてインターネットで仲良くなったのは数歳年上の学生で、受験シーズンを期に忽然と消えてしまったように覚えている。SNS時代でも唐突に消える人は多々いるけれど、そういった現象は昔の方がより多かった。

 Twitterどころかブログもない時代だから、自分から情報を発信する機会がサイト所有者くらいにしかなかったから、掲示板の書き込みやチャットルームでの会話でどんな人か直截聞いたり話したりすることで人となりを知るわけだけれど、対話の中の自己申告だから、だいたいよく分からないまま終わる。けれどもそこがサッパリしていてよかった気もする。

 いま、サウンドクラウドとか、インターネット上に自作の音源をアップするひとが増えていているけれど、当時はmidiくらいだった。midiをうまく作れる大学生とかもいた。インターネットにたむろする暇そうな大学生たちが好きだというバンドを知っては、レンタルショップで借りてMDコンポで聴いたような覚えがある。思い返せば、インターネットから影響を受けて実生活に浸透していく始まりはそれだったかもしれない。

 サイトのチャットルームの常連になったあと、当然自分もサイト管理人になりたいと思うようになって作ったりもした。粋なものじゃなくて、ゲームのファンサイトといった感じのものだ。

 といってもhtmlを手打ちするような感じではなくて、ホームページビルダーというソフトでけっこう楽をして作った。当時はそれがドーピングのように思えて恥ずかしかったけれど、いま思えばそんなことはどうでもいい気もする。肝心なのは、発信することに憧れて発信することができたことで、それに関してはとても幸せだった。

 ところで、そのころにテキストサイトが流行りだした。自分も文章を書くのは好きだったので、ブームのちょっと前くらいからサイト内で日記を書いたりしていたのだが、わりかし同年代の人や少し上の人たちに面白いと褒めてもらうことが多く、ブームの影響もあって自分のサイトの趣旨も半ばテキストサイトのような形態になっていった。

 書いたものに対して反響が来るのは、友達のいないひきこもりの中高生だったぼくにとって特別なものだったように思う。自分はべつに文学青年でもなんでもなく、文章と接したのは、はじめに雑誌が、それからインターネットがあった。

 

 ぼくの中高時代は本当にインターネットまみれで、そういうインターネットボーイだったころにオフ会に出始めたんだけれども、自分よりも年上の大学生とか社会人の人たちと会って、色んな面白い話を聞かせてもらったり、進路のアドバイスを受けたりもしていた。面白い人がたくさんいた。経歴も多種多様だったと思う。奇妙な大人たちはみんな優しかった。

 世の中には色んな人たちがいて、色んなルールの中で、守ったり破ったり傷ついたり癒されたりしている。それが多様性で、自分はそのことを受け容れるというより、受け容れてもらう側だった。つまり登校拒否で、ほとんど人と話したことがないようなネット弁慶のクソガキだったぼくを、おもしろい年上の人たちがそんなことも意に介さず面白い話をたくさん聞かせてくれたり、色んなところに連れていってくれたからだ。

 長い歳月を経て、自分も世間的には大人といわれる年齢になった。しかし当時接していた奇妙ですてきな大人たちのようになれたのかというと、ウーン、自分では分からないなというのが正直なところだ。なれていたら嬉しいな。

 ぼくは今でもたまにオフに出るけれど、もう出会う人たちの大半が年下だ。でもびっくりするのは、そういう人たちが当時の奇妙な大人たちみたいにぼくを色んなところに案内してくれたりして、なんともはや、自分は年をとっても案内されることを楽しんでいるふしがある。

 たとえばぼくは淡路町ショパンという喫茶店が好きだ。東京に寄るたびに何度も行っているが、だいたいその時々の同行者に案内されてきたので、一人で行くときやショパンを知らない人を店まで案内するとき、道順をほとんど覚えていないことに愕然とする。

 上野とは逆側にあるということは知っているので、そっちを歩いて角を何度も曲がっているうちに見つかる、といったアバウトな感じで到着することになる。ときには、ショパンに行ったことがない人にショパンへと案内されることもある。

 しかしこういう有様では、せっかくの良い喫茶店なのに同行者を疲れさせてしまうから、ちゃんとショパンくらいには流暢に行けるようになりたい。2016年の抱負のひとつとして、これは掲げておきたい。

 

 日記を書くつもりが殆ど思い出話になってしまった。近況も今後しばしば書こうと思う。それではよろしく。