フレーズ

 二時間だけの睡眠はそれでも続く。

 漫画をたくさん描くようになった。小説や作劇の代替行為として。せっかくなのだしと思って身に沁みついたメソッドを意識的に取り除くようにする。

 ここ最近、ちょくちょく心の中で「鋼鉄」と唱えるようにしている。なんだか熱血キャラクターみたいだが、心を固く持ちたいという意味でそうしている。「鋼鉄」と唱えれば、多少は気が引き締まって緊張感が出る。足が震えるようなことがあっても、鋼鉄すれば棒立ちはできる。

 特定の言葉で元気を出す、そういう言霊を信じる考え方はシンプルでいい。ちょっとシンプルすぎて笑いそうにもなるが、生活にはそういうちょっと気の抜けるようなことがあったほうがいい。わたしは鼻で笑われるくらいでちょうどいいと思っている。対外的な発想にならなくてすむ。イメージのコントロールに用いるべきではない。ことばは第一にいたわりのためにあってほしいとわたしは思う。

 思案と行動だけでは解決しないことがある。そのときに人の背中をさするのはフレーズの魔法だとわたしは思う。わたしには、わたしに対して最適化したことばをわたしのために用いる権利がある。それが尊厳だとわたしは信じる。

 自分はなりきれていないが、まあちょっとはそういう側面を持ってもいいかなと思って「鋼鉄」を採用した。これはとっても恥ずかしいお話。それでも構わなくなったのです。

短時間日記

むかし睡眠時に夢を見ることは娯楽だった。ところがいまは、油断ならない瞬間、無防備な自分への接続になってしまったように思う。

めざめたときに、しんどいな、と思う。わたしはわたしにロボトミー手術をしたかったが、不完全だったようだ。ディストピアごっこは心臓のふるえで幕を引く。

わたしは楽しいふりをしたり、悲しいふりをしたくない。

時間観測

最近ありがたいことに作品の感想をよくもらう。感想をもらうと不思議な気持ちになる。脱稿した時点でもう自分から遠い存在になったような、その上での愛着だけがあるからだ。そういった意味ではわたしの分身なのだろうが、同時代性は感じられない。リアルタイムでの自分では確実にない。作品というのは他者に観測された作者の時間だ。これは自分の排泄物に対する感覚と近いように思う。そして排泄というのは必要にせまられてするもので、感想があってもなくても排泄はつづく。報酬があってもなくても。名声があってもなくても。これは功罪の話ではないのだ。

オリーブ

友人からキャッチボールをしませんかと誘われて、二人でくさむらの上で球を投げ合った。

友人は野球経験者なので難しい球も軽々と捕るが、わたしは球を受けそこなったり目測を誤って何回も走らなければならなかった。当然のことながらすぐにヘバる。不眠症の人間が元気よく駆けまわると何が起こるかというと突然の急停止で、わたしはまったく動けなくなってレジャーシートのうえにバックパックと一緒にジッとする。そのあいだに友人はランニングをして時間を潰してくると言う。冗談かと思ったらそのまま走っていって見えなくなった。これだけ体力の差を見せつけられると却って清々しい気持ちになって、わたしは顔の上にタオルをかけて風が来るのを待つ。今日は炎天下だったが、どんな天候であっても季節はその姿をすこしだけ見せるものだ。動かないでいると涼しい風を感じることができた。タオル越しに観る世界はタオルの色だった。オリーブ。そのタオルはいつぞや別の機会でキャッチボールしたときに買った。連続性について考え事をする。息がととのってくる。ざっざっと音が鳴る。タオルを顔から払いのける。太陽とくさむらと友人が帰ってくる。わたしはまた立ち上がる。

払暁にて

真夜中の二時ごろに明日どこかへいこうという話を友人とすることがある。手持ちの作業が落ち着いたら始発でどこかにいくのだと。千葉の九十九里浜だとか、あるいは奥多摩だとか、色んな候補がでる。ところが作業が落着したころには眠くなっているから結局毎回行かずじまいだ。そのぶん進捗は進むが、足跡は増えない。どちらがよいのか未だにわからないまま何度も同じことを繰り返している。ゆりかごの中にいるみたいな意志決定の保留は心地が良くもある。的確な判断をせまられるまでのモラトリアムな時間がわたしにはすこし嬉しく、そしていずれ喪失する予感もある。「また今度でいいや」とわたしはいつまで言えるだろうね、とひとりで五時台の三日月を見上げながら思う。払暁におりた空の錨はとてもきれいに見えます。

上京してから半年以上経った。
冬の後半に越してきたから肌寒くなってくるとこっちにきたころを思い出す。
いろんな人に世話になった。毎日のように新しい人と知り合った。ネットゲームの世界にバフ効果という概念がある。ポーションを使って攻撃力や防御力が一時的にあがることをいう。わたしの上京というのはなんだかそんな感じがあった。迎え入れてくれた方々へここで私信を。ありがとうございました。

ずいぶんと色んな人から歩くのが早いといわれた。いままで歩調をゆるめる必要がなかったからだ。申し訳ないと思うと同時にすこし嬉しかった。ところが相変わらずまだ歩調は遅くならない。そんなものだ。
あっという間に時間は過ぎた。
東京にも慣れた。線路図と行動の記憶が一致するようになった。自分が歩いた場所をまたなぞることが出来るようになってきた。繰り返していくうちに町並みは少しずつ変わって、気づいたら自分もまわりも変わっているのだろう。けれども歴史は変わらない。わたしの個人史もまた変わらない。それは痛恨でもあるし救いでもある。すなわち無駄なことはひとつもなかった。それ以上でも以下でもない。いろんな年度のいろんな時間帯のわたしが同時発生的にいるんだろうと思う。その全体図は眠っているときにしか見せてもらえないのだろう。人生は総括を免れつづけるのだろう。他者が決定をくだしたところで、そこにわたしはもういない。