時間観測

最近ありがたいことに作品の感想をよくもらう。感想をもらうと不思議な気持ちになる。脱稿した時点でもう自分から遠い存在になったような、その上での愛着だけがあるからだ。そういった意味ではわたしの分身なのだろうが、同時代性は感じられない。リアルタイムでの自分では確実にない。作品というのは他者に観測された作者の時間だ。これは自分の排泄物に対する感覚と近いように思う。そして排泄というのは必要にせまられてするもので、感想があってもなくても排泄はつづく。報酬があってもなくても。名声があってもなくても。これは功罪の話ではないのだ。