日記をはじめる

 パソコンに初めて触れたのが98年から99年の頃だったように思う。CRTのモニターを富士通のデスクトップに繋げて、マインスイーパーやタイピングゲームをよくやった。時期は前後するかもしれないが、こち亀のタイピングゲームが市販されていて、当時ファンだったのでしょっちゅうやっていたと思う。タイピングが好きなのはその頃から。

 LANケーブルを繋げてネットワークにアクセスしたのはパソコンの所有から少しあとで、たぶん99年の末か、2000年の初めごろだったように思う。

 ぼくは当時登校拒否だったので、びっくりするほど時間が余っていた。どれくらい余っていたかというと、毎日ワイドショーをはじめから最後まで観ていたくらいだ。そんな暇人にインターネットが強烈な衝撃を与えたのはいうまでもない。ゲームの攻略サイトを見ているうちに、そこのCGIの掲示板やチャットを利用するようになった。

 初めてインターネットで仲良くなったのは数歳年上の学生で、受験シーズンを期に忽然と消えてしまったように覚えている。SNS時代でも唐突に消える人は多々いるけれど、そういった現象は昔の方がより多かった。

 Twitterどころかブログもない時代だから、自分から情報を発信する機会がサイト所有者くらいにしかなかったから、掲示板の書き込みやチャットルームでの会話でどんな人か直截聞いたり話したりすることで人となりを知るわけだけれど、対話の中の自己申告だから、だいたいよく分からないまま終わる。けれどもそこがサッパリしていてよかった気もする。

 いま、サウンドクラウドとか、インターネット上に自作の音源をアップするひとが増えていているけれど、当時はmidiくらいだった。midiをうまく作れる大学生とかもいた。インターネットにたむろする暇そうな大学生たちが好きだというバンドを知っては、レンタルショップで借りてMDコンポで聴いたような覚えがある。思い返せば、インターネットから影響を受けて実生活に浸透していく始まりはそれだったかもしれない。

 サイトのチャットルームの常連になったあと、当然自分もサイト管理人になりたいと思うようになって作ったりもした。粋なものじゃなくて、ゲームのファンサイトといった感じのものだ。

 といってもhtmlを手打ちするような感じではなくて、ホームページビルダーというソフトでけっこう楽をして作った。当時はそれがドーピングのように思えて恥ずかしかったけれど、いま思えばそんなことはどうでもいい気もする。肝心なのは、発信することに憧れて発信することができたことで、それに関してはとても幸せだった。

 ところで、そのころにテキストサイトが流行りだした。自分も文章を書くのは好きだったので、ブームのちょっと前くらいからサイト内で日記を書いたりしていたのだが、わりかし同年代の人や少し上の人たちに面白いと褒めてもらうことが多く、ブームの影響もあって自分のサイトの趣旨も半ばテキストサイトのような形態になっていった。

 書いたものに対して反響が来るのは、友達のいないひきこもりの中高生だったぼくにとって特別なものだったように思う。自分はべつに文学青年でもなんでもなく、文章と接したのは、はじめに雑誌が、それからインターネットがあった。

 

 ぼくの中高時代は本当にインターネットまみれで、そういうインターネットボーイだったころにオフ会に出始めたんだけれども、自分よりも年上の大学生とか社会人の人たちと会って、色んな面白い話を聞かせてもらったり、進路のアドバイスを受けたりもしていた。面白い人がたくさんいた。経歴も多種多様だったと思う。奇妙な大人たちはみんな優しかった。

 世の中には色んな人たちがいて、色んなルールの中で、守ったり破ったり傷ついたり癒されたりしている。それが多様性で、自分はそのことを受け容れるというより、受け容れてもらう側だった。つまり登校拒否で、ほとんど人と話したことがないようなネット弁慶のクソガキだったぼくを、おもしろい年上の人たちがそんなことも意に介さず面白い話をたくさん聞かせてくれたり、色んなところに連れていってくれたからだ。

 長い歳月を経て、自分も世間的には大人といわれる年齢になった。しかし当時接していた奇妙ですてきな大人たちのようになれたのかというと、ウーン、自分では分からないなというのが正直なところだ。なれていたら嬉しいな。

 ぼくは今でもたまにオフに出るけれど、もう出会う人たちの大半が年下だ。でもびっくりするのは、そういう人たちが当時の奇妙な大人たちみたいにぼくを色んなところに案内してくれたりして、なんともはや、自分は年をとっても案内されることを楽しんでいるふしがある。

 たとえばぼくは淡路町ショパンという喫茶店が好きだ。東京に寄るたびに何度も行っているが、だいたいその時々の同行者に案内されてきたので、一人で行くときやショパンを知らない人を店まで案内するとき、道順をほとんど覚えていないことに愕然とする。

 上野とは逆側にあるということは知っているので、そっちを歩いて角を何度も曲がっているうちに見つかる、といったアバウトな感じで到着することになる。ときには、ショパンに行ったことがない人にショパンへと案内されることもある。

 しかしこういう有様では、せっかくの良い喫茶店なのに同行者を疲れさせてしまうから、ちゃんとショパンくらいには流暢に行けるようになりたい。2016年の抱負のひとつとして、これは掲げておきたい。

 

 日記を書くつもりが殆ど思い出話になってしまった。近況も今後しばしば書こうと思う。それではよろしく。